ホラー映画の新時代を切り開いた監督――それがアリ・アスターです。 彼の名前を知らなくても、『ミッドサマー』や『ヘレディタリー/継承』のポスターを一度は目にしたことがあるでしょう。 彼の作品は、血や悲鳴に頼らず“静かな不安と心理的な痛み”で観る者を引き込みます。 一見ホラーのようでいて、実は人間の感情や社会の歪みを描く“心のドラマ”なのです。
恐怖を通して「家族」「愛」「罪悪感」など、私たちの日常の中に潜む感情を映し出します。
本記事では、アリ・アスター監督の代表作とその特徴を、ネタバレなしでわかりやすく解説していきます。 映画をあまり観ない人でも楽しめるよう、専門用語を避けながら、作品の世界観やテーマを丁寧に紹介します。 特に彼の映画は「観たあとに考えさせられるタイプ」が多いため、“怖いけれど美しい”という不思議な感覚を味わえるはずです。
また、最新作『Eddington』(2025年12月12日日本公開予定)にも触れながら、 これまでの作品とのつながりや、アスターがこれからどんな方向へ向かうのかも探っていきます。 映像美・音の演出・哲学的なメッセージ――どれを取っても唯一無二の映画体験。 彼の映画は、一度その世界に足を踏み入れたらもう抜け出せない魅力に満ちています。
アリ・アスター監督とは? 代表作の特徴とテーマ 怖いのに美しい演出の秘密 最新作『Eddington』の注目ポイント
それでは、アリ・アスター監督が創り出す“静かな狂気”の世界を、ひとつずつひも解いていきましょう。 光と影が共存する物語の中に、人間の本質を見つめるヒントがきっとあります。✨
アリ・アスター監督とは 🎥🌻
アリ・アスター(Ari Aster)は1986年、アメリカ・ニューヨーク州に生まれた映画監督・脚本家です。 彼の名が世界中に知られるようになったのは、2018年の長編デビュー作『ヘレディタリー/継承』によってでした。 この作品は“家族の悲しみ”と“得体の知れない恐怖”を静かに融合させた心理ホラーとして絶賛され、 以降、アスターは「新世代ホラーの旗手」と呼ばれるようになります。
彼の作品は一見ホラーに分類されますが、単なる“怖がらせ映画”ではありません。 たとえば観客を驚かせる派手な演出よりも、日常の中に潜む「不安」や「違和感」を描くことに力を注ぎます。 その結果、彼の映画を観た人の多くが「じわじわ怖い」「観た後もしばらく頭から離れない」と語るのです。 こうした「静かな恐怖」の演出は、いまやアリ・アスターの代名詞となっています。
彼が脚本を学んだのはアメリカの名門・AFIコンセルバトリー(American Film Institute Conservatory)。 ここで制作した短編『The Strange Thing About the Johnsons』(2011)は、タブーを正面から描いたことで物議を醸しました。 しかしその挑戦的な姿勢が高く評価され、後の長編映画にも通じる「家庭内の崩壊」や「人間の裏側」というテーマを確立します。
アスター作品の特徴を一言で表すなら、“美しさと不安の同居”。 光に満ちた風景の中に、不穏な沈黙が漂う──それは代表作『ミッドサマー』でも顕著です。 一見すると華やかな祝祭の映画ですが、物語が進むほどに「幸福と狂気の境界」が崩れていきます。 まるで観客自身がその共同体に引き込まれていくような感覚を覚えるのです。
さらに『ヘレディタリー/継承』では、祖母の死をきっかけに崩壊していく家族の姿を描きながら、 「血のつながり」と「運命の継承」という人間の根源的テーマに迫りました。 アスターは、この作品で“家族の絆”を祝福するのではなく、“家族という檻”を描いたのです。 そこには、誰もが心のどこかで感じる「家族への愛と息苦しさ」が映し出されています。
2023年には『ボーはおそれている』(原題:Beau Is Afraid)を発表。 これはホラーよりもシュールで寓話的な作品で、“母と息子の関係”を中心に、 人間の内面に潜む恐怖とトラウマを幻想的な映像で描き出しました。 この映画では、現実と妄想の境界が曖昧になり、観る人によって解釈が大きく異なるのも特徴です。
アリ・アスターは常に「観客が考える余白」を残します。 彼の映画には明確な“答え”がなく、観る人によって感じ方が違うのが魅力です。 そのため、映画ファンだけでなく、普段映画を見ない人にも“考えるきっかけ”を与えてくれる監督です。 見終えたあとに心に残る“ざらつき”や“問い”こそ、アリ・アスターが描きたい本当のテーマなのかもしれません。
いまやA24を代表する映画監督のひとりとして、アリ・アスターは「恐怖を通じて人間を描く」作家として確固たる地位を築いています。 その作品群は、ホラーの枠を超えて“人生や感情そのものを観察する鏡”として、多くの観客の心に静かに突き刺さるのです。🕯️
監督の持ち味 ✨🧠
アリ・アスター監督の映画を一言で表すなら、「静けさの中に潜む狂気」。 彼の作品では、恐怖が突然“ドン!”と現れることはほとんどありません。 代わりに、日常の中に潜む違和感や、人間関係の微妙なほころびが、 少しずつ積み重なっていくことで観客を深い不安へと引きずり込みます。 まるで美しい花が、実は毒を秘めていた──そんな感覚を覚えるのが彼の映画の特徴です。
アスターの映画はどれも構図と色彩が非常に美しいことでも知られています。 たとえば『ミッドサマー』では、全編が明るい昼間の太陽の下で進行します。 一般的なホラー映画が“暗闇で恐怖を演出”するのに対し、彼は逆に“光の中に不安を宿す”のです。 カラフルな花冠、青い空、白い衣装。どれも幸せを象徴するようでいて、見続けるうちに心がざわめいていく…。 その“逆転の演出”こそ、彼の最大の持ち味です。
また『ヘレディタリー/継承』では、家の中の照明や家具の配置までが心理的な緊張を作り出しています。 まるでカメラの視線そのものが“登場人物を監視している”ような感覚。 映像のすべてが、ストーリーの一部として機能しているのです。
アスター監督の作品は、ジャンルで言えばホラーやスリラーに分類されます。 しかし本質は“人間の心のゆがみ”や“悲しみの連鎖”を描く心理ドラマです。 彼が描く恐怖の源は、幽霊や怪物ではなく、人の心そのもの。 愛情、後悔、罪悪感、そして「許されたい」という切実な願い。 それらが少しずつ歪んでいく過程を、観客は目撃することになります。
たとえば『ボーはおそれている』では、息子が母親への恐怖と愛の間で揺れ続けます。 その心理は極端でありながら、誰にでも思い当たる“人間的な弱さ”に根ざしています。 アスターは、そうした普遍的な感情を、異様なまでにリアルに描き出すのです。
アスターの映画では、「音の使い方」も独特です。 多くのホラー映画が効果音やBGMで恐怖を盛り上げるのに対し、 彼は“音がない瞬間”を大切にします。 たとえばキャラクターが深呼吸をする音、床のきしむ音、時計の針の音―― そんな些細な音が、静寂の中で異様に強調され、観客の神経を刺激します。 この“沈黙の演出”によって、映像そのものが心理の延長として機能します。
そしてもうひとつの特徴が「間(ま)」の使い方。 登場人物が話す前の沈黙、視線を交わす瞬間の間。 そこに観客が想像を入れたくなる余白を作り出すことで、 アスターの映画は「見えないものを感じさせる」力を持っています。
アスターの作品は、怖さの中に“優しさ”や“悲しみ”も共存しています。 登場人物たちは、たとえ異常な行動を取っていても、どこかに“理解できる理由”がある。 観客はただ恐れるだけでなく、「どうしてこの人はこうなってしまったのだろう」と考えさせられます。 その思考の時間こそが、アスター映画の本当の魅力です。
つまり彼のホラーは、“怖がらせるためのホラー”ではなく、 “人間を見つめるためのホラー”なのです。 恐怖の中で、人がどんな行動を取り、何を信じ、何を失うのか。 それをじっくり描くからこそ、彼の作品は心に長く残ります。
静けさの中の恐怖 感情の崩壊 美しい映像 人間心理のリアル 光の中の不安
まとめると、アリ・アスター監督の持ち味は「ホラーの皮をかぶった人間ドラマ」にあります。 彼の映画を観ることは、単に“怖い体験”をすることではなく、 “人間の心の奥を覗き込む”ような体験でもあります。 映画をあまり観ない人でも、「人の感情のゆがみ」「光の中の恐怖」というテーマから入ると、 彼の作品世界の深さと独自性をより楽しむことができるでしょう。🌻
『ミッドサマー』(2019年) 🌻🌞
『ミッドサマー』は、アリ・アスター監督の代表作のひとつにして、 もっとも“異色”なホラー映画と評される作品です。 舞台はスウェーデンの小さな村。大学生のカップルが夏至祭(ミッドサマー)に参加するため、 友人たちとともに田舎を訪れる──という、ごくシンプルな導入から始まります。 ところが、この明るく牧歌的な祝祭の裏には、常識では説明できない“もうひとつの顔”が隠されていたのです。
本作が話題を呼んだのは、“ホラーなのに明るい”という強烈なビジュアル・コントラスト。 一面の花畑、青空、白い民族衣装──まるで絵画のように美しい世界で、 登場人物たちは笑顔で踊り、歌い、食事をします。 しかし、その明るさが続けば続くほど、観客はどこか落ち着かない気持ちに包まれていく。 光が強すぎると影が濃くなるように、幸福そうな風景の中に“見てはいけない何か”が見え隠れします。
主人公のダニーは、家族をある悲劇で失い、深い喪失感を抱えています。 そんな彼女が恋人クリスチャンや仲間たちと共に、 スウェーデンの田舎で行われる“90年に一度の夏至祭”に参加する── というのが物語の大筋です。 村の人々は親切で温かく、最初は楽しい旅行のように見えます。 しかし、儀式が進むにつれ、その「優しさ」は次第に奇妙な方向へと変わっていくのです。
映画の前半は旅のワクワク感と美しい自然描写で観客を包み込み、 後半はその安心感を少しずつ崩していく構成。 まるで柔らかい花びらの中に鋭い棘が隠されているように、 観る人の心を静かに締め付けていきます。
『ミッドサマー』は、単なるホラーではなく、“喪失と再生の物語”でもあります。 ダニーは大切なものを失い、心の支えを見失っていました。 彼女が異国の村で体験する一連の出来事は、悲しみと向き合い、 新しい自分を見つけるための“通過儀礼”のようにも描かれています。 アスター監督は、恐怖を通して「人が癒やされる瞬間とは何か」を問うのです。
つまりこの作品は、“恐怖の中での救済”を描いた映画。 それはホラーでありながら、どこか希望の物語でもあるという、非常に珍しい構造です。
アスター監督は『ミッドサマー』で、色彩と音を巧みに使い、 観客の感情を操作します。白・黄・青を基調とした映像は、幸福や清潔さを象徴する一方で、 音楽は不協和音や低音のドローンが多用され、無意識に“違和感”を植えつけます。 そのギャップが、観客に「何かがおかしい」と感じさせるのです。
また、村人たちが歌や呼吸を合わせる場面では、集団心理の怖さも描かれます。 喜びや悲しみを「みんなで共有する」その姿は、温かくもあり、どこか異様。 観る者は、知らず知らずのうちに“集団のリズム”に引き込まれていくのです。
この映画の恐怖は、幽霊や怪物ではなく、「人間の心」にあります。 ダニーが感じる孤独、他人に理解されない悲しみ、 そして“受け入れてくれる場所”を求める欲求。 それらは誰にでも共通する感情です。 観客は彼女の視点を通じて、「もし自分がこの状況にいたら?」と問いかけられるのです。
だからこそ、『ミッドサマー』は怖いだけでは終わらない。 観終わった後に残るのは、“恐怖”よりも“解放感”かもしれません。 その複雑な余韻が、この映画を“光のホラー”と呼ばせる理由です。
昼のホラー 喪失と再生 集団心理 美しい映像と不安 光の中の恐怖
『ミッドサマー』は、観る人の感情を試すような映画です。 怖いのに目が離せず、異常なのにどこか心地よい。 その矛盾こそが、アリ・アスター監督が描きたかった“人間の不安定さ”そのもの。 映画をあまり観ない人でも、映像の美しさや象徴的な世界観に引き込まれることでしょう。 この映画を観終えたとき、あなたの中の「怖い」の意味が少し変わるかもしれません。🌼
『ヘレディタリー/継承』(2018年) 🕯️🏠
アリ・アスターの長編デビュー作『ヘレディタリー/継承』は、派手な驚かしではなく、 「家族のなかに静かに広がる違和感」で観客を包み込む心理ホラーです。 物語は、祖母の死をきっかけに始まります。葬儀のあと、家族の間に説明しづらい不調や不気味な出来事が少しずつ起こり、 「これは偶然なのか? それとも何かが受け継がれているのか?」という疑いが濃くなっていきます。 本章ではネタバレを避けながら、作品の魅力と見どころを“初めて観る人”にもわかりやすく整理します。
主人公一家は、どこにでもいそうな家族です。母はアーティスト、父は穏やかで子ども思い。 子どもたちはそれぞれに個性があり、家庭は一見ふつうに回っています。ですが、祖母の死後、 ささいなサインが増えていきます。夜の気配、家のきしみ、会話の行き違い、よくわからない記号や儀式めいた痕跡……。 それらは直接“恐怖”を叫びませんが、家族の関係を少しずつ歪ませる力を持っています。 物語は、家庭の“ズレ”がどのように大きな不安へ広がるのかを、丁寧に追いかけていきます。
本作を語るうえで欠かせないのが、登場人物の感情表現です。 喜怒哀楽を大げさに見せるのではなく、言葉にできない気まずさや沈黙の重みで、 家族のひび割れを“体感”させます。ふとした視線、食卓の間(ま)、呼吸の乱れ―― それらが積もっていくと、観客は説明できない不安を登場人物と同じ速度で受け取ることになります。
作中に登場するミニチュア(模型)は、単なる装飾ではありません。 まるで誰かが“家族という模型”を上からのぞき、思い通りに並べ替えているような、 不穏なメタファーとして機能します。「この家は観察され、配置されているのでは?」という不快感が、 カメラの静かなフレーミングと相まって、じわじわと胸に迫ります。
効果音やBGMで驚かせるタイプではなく、沈黙の使い方が鋭い作品です。 生活音、遠くの風、微かな振動――そんな小さな音が拡大され、耳が“待つ”状態に置かれます。 その時間が観客の想像力を刺激し、見えていないものの存在感を増幅させます。 ふいに鳴る“乾いた一音”が、派手な悲鳴より記憶に残るのはそのためです。
表のテーマは家族の崩壊ですが、裏側では罪悪感とコントロールが渦を巻きます。 「自分たちは何に支配されているのか?」「誰が舵を握っているのか?」という問いが、会話のすき間から滲みます。 家族と個人の境界が曖昧になるほど、選択の自由は狭まり、“受け継がれたもの”が色を濃くしていく―― その心理の進行が、本作の真の恐怖です。
家の音・気配に注目 食卓シーンの空気の変化 壁や机の“置き方” 模型のモチーフ 「継承」という言葉の射程
この映画の怖さは、ジャンプスケア(急に驚かす)ではなく、累積する不安です。 1つひとつは説明できる出来事でも、点が増えるほど線になり、やがて面になる―― そんな図形のような広がり方をします。気づいたときには部屋の空気が変わっている。そこが見どころです。
だからこそ、明るい環境・音量控えめでも十分楽しめます。派手な驚かしを待つより、 “会話が噛み合わない瞬間”や“長い沈黙”に耳と目を澄ませるのがおすすめです。
まとめると『ヘレディタリー/継承』は、家族をめぐる目に見えない力を、 映像・音・沈黙で体感させる稀有なホラーです。物語の細部を先に知る必要はありません。 ただ、家の中に漂う「説明できない圧力」に身を預けてみてください。 観終えたあと、タイトルの「継承」という言葉が、きっと別の重みを持って胸に残るはずです。🕯️
『ボーはおそれている』(2023年) 🌀🏃♂️
アリ・アスター監督の最新作『ボーはおそれている』(原題:Beau Is Afraid)は、 これまでの彼の作品群の中でも最も奇妙で、最も個人的な映画です。 これは単なるホラーではなく、「不安」そのものを旅にした物語。 主人公ボーが母の死をきっかけに、故郷へ帰るための旅に出る—— という単純なプロットの裏に、人間の心の迷宮が隠れています。
恐怖と笑い、現実と幻覚がぐるぐると入れ替わる“心の迷路”映画です。
主人公ボーは、常に不安と恐怖に支配された中年男性。 何をするにも心配で、外出することすら勇気が要ります。 そんなある日、母の訃報が届き、彼は生まれ故郷に帰る決意をします。 しかしその旅は、奇妙な出来事と奇人たちに満ちており、 現実なのか妄想なのか分からないまま、彼は次々と不可思議な世界をさまよいます。
この映画は、外の世界を旅するというよりも、ボーの心の中を旅するような体験。 観客も彼と同じように、「これは本当に起きているのか?」という疑念の中を進むことになります。
本作の根底にあるテーマは、母と息子の関係。 アリ・アスター監督自身が何度も作品で描いてきた“家族の支配”というモチーフが、 ここでは極端な形で表現されています。 ボーは母を愛していながらも、母の期待や支配から逃れられません。 母の存在はすでに亡くなってもなお、彼の心の中で巨大な影を落とし続けます。
この関係性は、恐怖でありながらも、どこか切ない。 観る人によっては「家族愛のゆがんだ形」としても、 「支配と依存の物語」としても読み取れるでしょう。
『ボーはおそれている』の映像は、現実と空想を滑らかに行き来します。 序盤は現代都市のカオス、途中から幻想的な森やアニメーション的演出へと変化。 これにより観客は、ボーの不安が視覚化された世界を体験します。
一方で、物語にはブラックユーモアも散りばめられており、 アリ・アスター流の皮肉が随所に光ります。 恐怖のすぐ隣に笑いがあり、そのバランスが奇妙な心地よさを生むのです。
『ボーはおそれている』の最大の特徴は、観客が解釈を委ねられる点です。 ストーリーの全貌を理解することよりも、感じた“不安”や“孤独”が重要。 監督は、「恐怖とは、見えない何かに支配されること」と語っています。 それは怪物でも幽霊でもなく、自分自身の中にある恐怖なのです。
映画を観るうちに、ボーの旅は“母への帰郷”であると同時に、 “自分自身と向き合う旅”であることが分かってきます。 だからこそ、この映画は観る者にとっても鏡のように働きます。
母と息子の関係 不安症の心理描写 現実と幻想の境界 ブラックユーモア “帰る”というテーマ
まとめると『ボーはおそれている』は、アリ・アスターの頭の中を旅する映画です。 ストーリーを理解するというよりも、「感情を体験する」映画。 怖いのに笑えて、悲しいのに奇妙に美しい——そんな矛盾した感覚を味わうことで、 私たちは“恐怖とは何か”“愛とは何か”という問いに触れることになります。 映画を観終えたあと、あなた自身の“恐れ”が少しだけ形を変えているかもしれません。💭
『The Strange Thing About the Johnsons』(2011年) 🎬🧩
『The Strange Thing About the Johnsons(ジョンソンズについての奇妙な話)』は、 アリ・アスター監督が学生時代に制作した短編映画であり、彼の作家性が最初から明確に現れた作品です。 長編デビュー以前に撮られたこの26分ほどの短編は、“家庭という閉ざされた空間の異常さ”を、 直球で描いた非常に挑戦的な内容となっています。 公開当時は賛否を巻き起こし、現在も“アスターらしさ”を理解するうえで避けて通れない一本とされています。
“家族の中にあるタブー”という危険な題材を、正面から描いています。
舞台は、どこにでもあるようなアメリカの家庭。 父・母・息子という三人家族が暮らすジョンソン家で、ある“衝撃的な秘密”が明らかになります。 その秘密は家族の関係性を根本から揺るがし、「愛と支配」「恥と沈黙」というテーマを際立たせます。 映画はその事実をストレートに見せるのではなく、家庭という舞台の中で進行する静かな戦いとして描かれます。
一見穏やかで幸福そうな家庭の中に、誰もが見ないふりをする異常が潜んでいる——。 その“違和感”の積み重ねが、この作品の最大の恐怖です。
この作品で描かれるのは、家族の中で起こる権力の逆転です。 アスターは「支配する側とされる側」が入れ替わることで、 家族というシステムがどれほど脆く、不安定であるかを見せます。
登場人物たちはそれぞれに“知っているのに言えない”という苦しみを抱えており、 その沈黙が時間とともに空気を腐らせていきます。 監督はこの沈黙の時間を非常に長く撮ることで、観る者の居心地の悪さを増幅させます。
アスター監督の初期らしく、日常的な空間の美しさと不穏さの対比が鮮烈です。 室内は明るく清潔に撮影されていますが、その中で交わされる会話や仕草には明らかな違和感が漂います。 まるで誰かがカメラを通して「家庭の仮面を剥がしている」ような演出。
カメラはしばしば“居心地の悪い位置”に固定され、登場人物の視線を避けたり、 ドアの隙間から覗くように構図が組まれています。 これにより観客は、自分が“見てはいけないものを覗いている”感覚に陥るのです。
『The Strange Thing About the Johnsons』は、後の『ヘレディタリー』や『ミッドサマー』に通じる 「家族の崩壊」「タブーの継承」「支配の構造」をすでに内包しています。 つまりこの短編は、アリ・アスター映画の原点です。
彼が大切にしているのは、“恐怖をどう描くか”ではなく、 “なぜ人は恐怖を生み出すのか”という問い。 その哲学的な視点が、この作品でもすでに見て取れます。
沈黙の使い方 家族関係のひずみ 権力の逆転 映像の居心地の悪さ 後の長編への布石
まとめると、『The Strange Thing About the Johnsons』は、 アリ・アスターという監督の本質が凝縮された短編です。 その不快で不思議な魅力は、彼が「人間の中の暗い部分を正面から見つめる」姿勢の表れです。 映画をあまり観ない人にとっては刺激が強いかもしれませんが、 彼の後の名作をより深く理解するための“予習作品”として、一度は触れておきたい一本です。 観終えたあと、あなたはきっと「アリ・アスターが描く恐怖は、超常ではなく人間そのものだ」と気づくでしょう。🕯️
その他の作品 🎥🧩
アリ・アスター監督は、長編映画だけでなく多くの短編映画や映像実験を手がけてきました。 それらの作品は、のちの『ミッドサマー』や『ヘレディタリー/継承』に通じるテーマを持ちながらも、 より直接的で、時にユーモラス、あるいは哲学的なアプローチを取っています。 この章では、そんな「知る人ぞ知るアスター作品」をピックアップし、彼の作家性の幅を感じられるように紹介します。
長編では見えづらい“ユーモア・痛み・実験性”が凝縮されています。
無声映画の形式をとった短編。母親が息子の旅立ちを見送る物語に見えますが、 実はその裏に過保護と執着の悲劇が潜んでいます。 言葉が一切ないにもかかわらず、映像と音楽だけで心理のゆがみを伝える手腕は圧巻です。 後の『ボーはおそれている』にも通じる、母と子の依存というテーマがここで明確になります。
🎞️ 見どころ:サイレント演出で描く「母の愛の暴走」。
若い女性が自分の人生を語るモノローグ中心の短編。 コメディのようでありながら、語られる内容は痛烈な自己批評。 アスター特有の「言葉と本音のズレ」が前面に出ており、 彼の脚本家としての観察眼が光ります。
🎙️ モノローグのテンポと、皮肉なユーモアがクセになる。
架空のサプリメントを宣伝する“フェイクCM”風の作品。 偽広告の形式で、現代社会の自己改善ブームを風刺しています。 監督はこの作品で「恐怖を笑いに変える」リズムを磨き、 後の作品で使われるブラックユーモアの原型を作りました。
💊 コメディ要素が強く、皮肉の効いた社会風刺としても秀逸。
探偵が“身体の異変”をきっかけに奇妙な事件へと巻き込まれる短編。 グロテスクながらも、どこか滑稽で、身体的ホラーとユーモアの融合を試みています。 肉体変容というテーマは、デヴィッド・クローネンバーグ的でもあり、 アスターの多様な映画的影響を感じ取れる作品です。
🐢 体と心の“変化”をコミカルに描く異色作。
これらの短編はバラバラに見えて、根底には共通するモチーフがあります。 それは、「人は何かを失うことで変化する」という哲学です。 アスターは恐怖を描くことで、人間の“成長”や“再生”の瞬間を切り取ろうとします。 その意味で、彼の短編群は“ホラー”であると同時に、人間の感情研究でもあるのです。
家族の歪み 支配と依存 不安と愛の共存 痛みを笑いに変える 沈黙の演出
アリ・アスターの短編作品は、派手な演出こそありませんが、 その一つひとつが“長編への実験場”として機能しています。 彼は恐怖を描くことで「人間とは何か」を掘り下げ、笑いや違和感までも恐怖の一部として取り込んでいきます。 映画をあまり観ない人でも、これらの短編を通して「恐怖=人間ドラマの一形態」であることを体感できるでしょう。 つまり、アリ・アスターの作品世界はホラーを超え、“人間そのものの観察記録”なのです。🎬
共通するテーマは? 🧩🕯️
アリ・アスター監督の映画を貫いているのは、「人間の関係性に潜む恐怖」です。 それは怪物や幽霊のような“外側の脅威”ではなく、私たちの中に静かに巣食う不安。 家族、恋人、友人、社会――どんな関係にも、理解し合えない壁や支配の構造が潜んでいます。 彼の映画は、それをあぶり出すための鏡のような存在なのです。
恐怖を描くことで、むしろ“癒やし”や“共感”の瞬間を浮かび上がらせるのが彼の手法です。
『ヘレディタリー/継承』で顕著なように、家族はアスター作品の核です。 血のつながりが祝福ではなく呪いとして描かれ、 「逃れられない絆」「受け継ぎたくない運命」というテーマが繰り返し現れます。 家族は安らぎの場であると同時に、最も恐ろしい閉鎖空間でもあるのです。
🧬 “Hereditary(継承)”という言葉が、彼の映画全体の象徴になっている。
『ミッドサマー』では、明るく美しい村の中で“共同体の恐怖”が描かれます。 儀式や伝統は本来、絆を深めるためのものですが、行き過ぎると個人を飲み込みます。 アスターは、「人間は他者とつながりたいが、完全には理解し合えない」という矛盾を描きます。 その結果、観客は“安心の裏にある異常”に気づかされるのです。
🌞 光と幸福のなかに潜む“集団の狂気”を、ホラーではなく寓話として提示。
アスター作品の多くでは、愛がやがて支配に変わる瞬間が描かれます。 『ボーはおそれている』の母子関係、『ジョンソンズ』の家庭構造など、 登場人物は「愛しているからこそ支配してしまう」「信じているからこそ壊してしまう」。 その矛盾こそが、アスターが最も興味を持つ人間の感情です。
🧠 “愛の裏側には、相手を支配したい無意識の欲望がある”というメッセージ。
『ボーはおそれている』や短編『Munchausen』に見られるように、 アスターは“現実そのものが歪む瞬間”を描くのが得意です。 それは超常現象ではなく、心理的な錯乱。 現実を信じられなくなった人間の視点を通すことで、観客は世界そのものの不安定さを感じます。 この手法により、彼の作品は単なるホラーではなく心理の寓話となっています。
🌙 恐怖を「心のカメラ」で撮るような独特の構成。
アスター作品では、静寂や儀式のシーンが印象的に使われます。 会話よりも沈黙、事件よりも予感。 その“間”が観客に想像させ、恐怖を内側から膨らませます。 『ミッドサマー』の儀式や『ヘレディタリー』の食卓の沈黙など、 一見何も起きていない時間こそが最も緊張感に満ちているのです。
家族と継承 共同体と同調 愛と支配 不安と心のゆがみ 沈黙と儀式
要するに、アリ・アスターが描く恐怖とは「外から来る脅威」ではなく、 「人間の内に眠る矛盾」なのです。 家族・愛・信仰・社会といった一見“善いもの”の中に潜む危うさを、 彼は繊細な映像と緻密な心理描写で浮かび上がらせます。 だからこそ彼の映画は、ただ怖いだけでなく、観たあとに心の奥で静かに考えさせられるのです。 アリ・アスターの恐怖は、観客自身の中にすでにあるものを映しているのかもしれません。🕯️
その他の活動 🎬🧠
アリ・アスター監督は映画監督・脚本家として知られていますが、 その活動はそれだけにとどまりません。 彼は自身の映画制作を支えるための制作会社の設立や、他のクリエイターとのコラボレーション、 さらには脚本・プロデュースなど幅広い領域で活動を展開しています。 この章では、映画以外の分野で見られる彼の“もうひとつの顔”を紹介します。
アリ・アスターは、映画の外側からも新しい作品世界を支えています。
アリ・アスターは映画会社A24の支援を受けながら、自身の制作レーベル「Square Peg」を設立しました。 この会社は、アスター作品の企画開発を中心に、若手監督の支援や映画制作の実験場としても機能しています。 A24の美学とアスターの個性が融合することで、芸術性と商業性のバランスを保つ映画を次々と生み出しているのです。
🎬 『ミッドサマー』『ボーはおそれている』などもSquare Peg製作作品です。
アスターは監督業だけでなく、脚本家としても評価が高い人物です。 彼の脚本は緻密な構成と心理描写の深さで知られ、俳優や批評家からも称賛を受けています。 特に会話の間合いと、「言葉に出せない感情をどう脚本に残すか」という点にこだわりがあります。 そのため、どの作品も台詞が少なくても感情が伝わる構成になっているのです。
監督以外の立場でも映画制作に関わっており、同世代の監督や映画学校出身の後輩のプロジェクトを支援しています。 A24が企画する新進気鋭の監督支援プログラムに携わり、脚本開発のアドバイザーを務めたこともあります。 その経験から、彼は「恐怖の表現」を共有する次世代クリエイターたちに大きな影響を与えています。
アリ・アスターは映画学校出身者として、学生や若手クリエイターに向けた講演活動も行っています。 彼は講義の中で、「怖い映画を撮るときは、まず“何が人を悲しませるのか”を考える」と語っており、 恐怖表現を単なるエンタメではなく、人間理解の手段として捉えています。 その思想は、彼の作品が“心の奥に残る”理由でもあります。
🗣️ 「恐怖とは、誰かを理解しようとする行為だ」──彼の講演で最も印象的な言葉です。
映画監督 脚本家 プロデューサー 講師・メンター 制作会社代表(Square Peg)
こうして見ると、アリ・アスターは単なる映画監督ではなく、“物語の構築者”であることが分かります。 映画をつくることだけでなく、映画という文化そのものを育てる意識が強く、 恐怖を通して「人間を知る」ことを次世代にも伝えようとしています。 彼の活動は今後さらに広がり、A24以外の国際的プロジェクトでも注目されていくでしょう。 静かな語り口の裏で、映画界に確実に影響を与え続ける監督──それがアリ・アスターです。🎥✨
最新作『エディントンへようこそ』(2025年12月12日 日本公開予定) 🎬🌍
アリ・アスター監督の最新長編映画『エディントンへようこそ』(原題:Eddington)は、 これまでの“家族”や“共同体”を描いてきた作風から大きく広がり、現代社会全体を鏡にした寓話的ドラマとなっています。 製作はおなじみのA24、主演はホアキン・フェニックスとペドロ・パスカルという豪華な顔ぶれ。 日本では2025年12月12日(金)に公開予定で、アリ・アスターのキャリアを総括する一作として大きな注目を集めています。
🎬 日本公開日:2025年12月12日(金)予定
💬 監督・脚本:アリ・アスター(A24製作)
舞台はアメリカ南西部の小さな町“エディントン”。 パンデミックのさなか、町長テッド・ガルシア(ペドロ・パスカル)と保安官ジョー・クロス(ホアキン・フェニックス)の間で対立が激化します。 “自由か安全か”という価値観の分断は、やがて町全体を巻き込み、住民同士、家族同士の信頼までも崩していくことに。 物語は、荒野のような静けさの中で人々が「自分の信じる正義」を探す姿を、アスターらしい緊張感で描きます。
『エディントンへようこそ』は、アリ・アスターが得意とする“閉ざされた共同体”の物語を、より大きなスケールに拡張した作品です。 これまでの『ミッドサマー』『ヘレディタリー/継承』が“家庭や村”というミクロな世界を描いていたのに対し、 本作では“社会や国家”というマクロな視点から、人間の恐怖と信念を探ります。
特に監督が語るキーワードは「複数の現実」。 SNSやニュースによって誰もが自分の“真実”を持つ時代、何が正しいのか分からなくなった世界で、 登場人物たちはそれぞれの立場から“恐怖”を語ります。 アスターは、現代の分断を“心理ホラー”として描き出そうとしているのです。
映像は、乾いた砂漠の町を舞台にした“モダン・ウェスタン”調。 しかしその美しいロケーションの中に、アスター特有の静寂と緊張が漂います。 音楽は『ミッドサマー』でも印象的だったボビー・クルリッチが再び担当し、 牧歌的な旋律の下に不穏なノイズが混ざる独特のサウンドを演出します。 光と闇、秩序と混沌の対比が、映画全体に深い余韻を与えています。
主演:ホアキン・フェニックス 共演:ペドロ・パスカル 製作:A24 × Square Peg テーマ:分断社会と恐怖 日本公開日:2025年12月12日(金)
アリ・アスター監督はインタビューで「この映画はホラーというより、アメリカという国の心理的ホラーだ」と語っています。 つまり、本作は恐怖そのものよりも、「人々が分断の中でどう生きるか」という現実的なテーマを扱っているのです。 彼にとって『エディントンへようこそ』は、“恐怖の本質”を社会全体に拡張した挑戦作とも言えるでしょう。
📅 日本公開日:2025年12月12日(金)全国ロードショー予定。
🎟️ 配給:A24/Square Peg 上映時間:未定(約160分予定)
『エディントンへようこそ』(2025年12月12日 日本公開予定)は、 アリ・アスターがこれまで培ってきた“恐怖=人間ドラマ”という軸をさらに進化させた社会的スリラーです。 彼の作品をすでに観ている人にとっては作家性の集大成であり、 初めて観る人にとっても、現代を映すリアルな寓話として強烈に心に残るでしょう。 この冬、最も静かで、最も考えさせられる映画──それが『エディントンへようこそ』です。🕯️