2025年公開の映画『旅と日々』は、三宅唱監督による最新作であり、つげ義春の短編漫画「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」をもとにした映像詩のような物語です。 主演はシム・ウンギョン。共演には河合優実、堤真一といった実力派が名を連ね、静かな時間と余白の美しさをテーマに描かれています。 ストーリーは派手さこそありませんが、“何も起こらない”ように見える時間の中に、心の変化を見出す映画です。 夏の海と冬の雪、二つの季節を舞台に、登場人物たちが人生のわずかな「隙間」に触れる瞬間をやさしく映し出します。
本記事では、そんな『旅と日々』をネタバレありで深く掘り下げながら、 映画ファンから寄せられた評価や感想、そして観客の間で交わされたさまざまな考察をまとめます。 物語の詳細、肯定的・否定的な意見、そしてネットで盛り上がったシーンまで、章ごとに丁寧に解説していきます。 普段あまり映画を観ない方でも理解しやすいように、難しい専門用語を使わず、わかりやすい言葉でまとめました。 作品をまだ観ていない方にも、鑑賞後の余韻を楽しみたい方にも参考になる内容になっています。🌿
それでは、『旅と日々』という静かな旅路の中で、観客が感じた“心の変化”を章ごとに見ていきましょう。 きっとあなたの中にも、忘れていた「小さな旅」が見つかるはずです。✨
『旅と日々』とは? 🌊❄️
「ほんやら洞のべんさん」 主演:シム・ウンギョン/
共演:河合優実・堤真一 ほか 配給:ビターズ・エンド
『旅と日々』は、“行き詰まった心が、旅の時間と風景にほどけていく”過程を静かにたどるロードムービーです。物語は二つの季節──夏の海と冬の雪山──を軸に、登場人物のささやかな出会いと別れ、言葉にならない心の揺れを、余白の多い語り口で描きます。派手な事件も大きな説明もありません。それでも、波・風・雪・夜の白さといった自然のディテールが、登場人物の内面をそっと映し出し、観る人の記憶のどこか懐かしい感覚をゆっくり呼び起こしていきます。🎥
夏。強い日差しが降り注ぐ海辺で、夏男(たかだ万作)と渚(河合優実)が出会います。多くを語らないふたりは、やがて大雨のなかで海へ入り、“なぜだか胸の奥が軽くなるような”瞬間を共有します。
季節が巡って冬。李(リー)(シム・ウンギョン)は脚本家としての自信を失い、雪深い山奥へと旅に出ます。辿り着いたのは、暖房も食事もままならない古い宿「べんぞうや」。ぶっきらぼうな宿主べん造(堤真一)は、噛み合っているのかよく分からない会話を投げ返しながら、ある夜、李を雪原へと連れ出します。
ふいに訪れる沈黙、視線の交差、ぎこちないやさしさ。旅先の偶然は、李の中の小さな“氷”を少しずつ溶かしていきます。大きな「成功」や「答え」を掴む物語ではありません。昨日より半歩だけ前へ進む──その感覚を丁寧に見つめるのが、この映画です。
- 李(リー)…脚本家。「私には才能がないのかもしれない」という思いに押され、雪の旅へ。
- べん造…山奥の宿「べんぞうや」の主人。口数は少ないが、時おり不意に心を覗かせる。
- 渚…夏の海で出会う女性。多くを語らず、しかしどこか誘うような気配を残す。
- 夏男…海辺で渚と歩く青年。言葉よりも行為で距離を詰めようとする。
青く重たい海の色、雨に濡れた砂、視界を飲み込む雪の白さ。夏=身体が動く季節、冬=思考が深く潜る季節として配置され、ふたつのパートが鏡のように響き合います。夏の「飛び込む」という衝動は、冬の「連れ出される」経験へと反響し、やがて李の中で“旅=外の世界/日々=自分の内側”が滑らかに繋がっていきます。
原作は、つげ義春の短編「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」。どちらも説明を削いだ詩のような作品で、「出来事より余白」が魅力です。映画はエピソードを忠実に再現するより、つげ作品の空気──視線の泳ぎや、間の奇妙な温度──を再構成。三宅監督らしい現代の呼吸で、“いま”の観客が受け取れる形に仕立てています。
- 派手な事件より、心が少し軽くなる瞬間を味わいたい人。
- 旅の風景や季節のうつろいが好きで、“間”を楽しめる人。
- 最近ちょっと疲れていて、大きな答えではなく小さなヒントを求めている人。
アクションや複雑な伏線はほぼありません。映像・音・沈黙が主役の一本。スクリーンの暗がりで深く息を吸うように観るのが、おすすめの向き合い方です。🌙
まとめると、『旅と日々』は“半歩だけ前へ進む”ための旅の記録です。海と雪、見知らぬ誰かの気配、ぎこちない会話。どれもが日常の延長線にありながら、気づけば心の景色がほんの少し変わっている──そんな体験をもたらしてくれます。次章では、この作品に寄せられた全体的な評価を、わかりやすい言葉で整理していきます。🍃
全体的な評価まとめ 🌿
『旅と日々』は、静けさと余白を愛する人々から厚い支持を受けています。 海と雪、夏と冬、都会と山奥。対照的な風景の中で描かれる「心の移ろい」に、多くの観客が “言葉にできない癒し”を感じたといいます。 反対に、「説明が少なく物語の意図が掴みにくい」「もっと感情の動きが欲しい」と感じた声もあり、 この映画が観る人の感性にゆだねられた作品であることが伝わります。
映画ファンや批評家の間では、「静かな傑作」「近年まれに見る詩的な日本映画」として 高く評価されました。 三宅唱監督がこれまでの作品で培ってきた“観察するまなざし”がさらに洗練され、 まるで時間そのものを撮っているようだと評されています。 主演のシム・ウンギョンは、ほとんど言葉を発さずに内面の揺れを表現し、 その繊細さが絶賛の的に。 また、撮影監督の月永雄太による光と影のコントロールも見事で、 「風景が感情の代わりに語る」と言われるほど印象的です。
一方で、「話が進まない」「登場人物の関係性が曖昧」といった意見も少なくありません。 特に、前半の“海パート”と後半の“雪パート”が明確に繋がらない点については、 「夢のようで美しいが、少し不親切」と感じる観客もいました。 しかし監督はインタビューで、 「旅と日々は分かれていない。誰もが行き来している時間」 と語っており、あえて構造をぼかすことで、観る人自身の“心の旅”を促していると考えられます。
本作は海外の映画祭でも話題を呼び、ロカルノ国際映画祭で日本映画として約18年ぶりの最高賞を受賞。 そのニュースがSNSで拡散され、「静かな日本映画が世界に届いた」と多くの祝福が寄せられました。 海外メディアでは、「minimal yet emotionally dense(最小限でありながら感情的に豊か)」と評され、 監督の繊細な演出が国境を越えて伝わったことが分かります。
観終わったあとに残るのは、はっきりとした感動ではなく、静かな充足感です。 「誰かと話したいけど言葉にできない」「しばらく余韻に浸っていた」という感想が多く、 これは作品が“説明”よりも“体感”を優先している証。 風の音、海のきらめき、雪を踏む音──こうした要素が、観る人の記憶に直接触れてくるため、 各々が自分の過去の旅や感情を重ね合わせるようです。
まとめると、『旅と日々』は評価の分かれる作品です。 しかし、その分だけ“映画体験としての深さ”を持っています。 観るたびに違う印象を残し、静かな時間の中で自分自身の気持ちを見つめ直せる―― そんな作品だからこそ、長く語り継がれるのかもしれません。 次章では、実際に寄せられた肯定的な口コミ・評価を紹介していきます。🍃
肯定的な口コミ・評価 ✨
『旅と日々』を観た多くの観客が共通して語るのは、「静かな感動」です。 ドラマチックな展開がないのに心に残る――そんな声が目立ちます。 日常の延長にある“旅”を見つめながら、「何もしていない時間の豊かさ」を再発見したという感想も多く寄せられています。 SNSやレビューサイトでは、観客の間で「こんな映画、久しぶりに出会った」といった感動の声が広がりました。
特に印象的なのは、「映像の美しさ」と「音の静けさ」に対する称賛です。 海と雪というまったく異なる景色を対比させながらも、どちらにも共通する“冷たさの中の温もり”が感じられる。 観客はその繊細な空気感に惹き込まれました。 「風の音、波のリズム、足音だけで心が動いた」というコメントもあり、 音楽をほとんど使わないことで、自然そのものが感情を語る構成が高く評価されています。 また、「静寂を撮る勇気を感じた」「日本映画らしい間の美学」といった意見も多く、 三宅唱監督の手腕に対して賞賛が集まりました。
主演のシム・ウンギョンについては、「言葉に頼らず心情を伝える演技力が圧倒的」との評価が多数。 彼女のわずかな視線や呼吸の変化から、観客は“生きることの静かな痛み”を感じ取ったといいます。 また、宿の主人・堤真一の飄々とした存在感も印象に残ったという声が目立ちます。 彼の少ない台詞の中に滲む人間味が、「不器用だけど優しい日本の父親像」として多くの人の心に響きました。 河合優実の自然体な演技にも「まるでドキュメンタリーのよう」との意見があり、 登場人物すべてが“作り物ではないリアル”を感じさせたと好評です。
多くの肯定的な感想は、この映画の“何も起こらなさ”を肯定しています。 「何も起きない時間こそ、人生の一部なんだと気づかせてくれた」「退屈ではなく、穏やかで豊か」といった言葉が多く、 映画のテンポの遅さを“心の休憩”として捉える観客が多かったのが特徴です。 ある観客は「スマホを見ない90分が、こんなに贅沢だと思わなかった」と語っており、 現代社会で失われがちな“間”を体験させてくれる点に深く感動した様子です。 このように『旅と日々』は、スピードや刺激よりも、「止まることの意味」を教えてくれる映画として愛されています。
肯定的な感想の中で特に多かったのが、「タイトルの意味が観終わったあとにじんわり分かる」という声。 “旅”という非日常と、“日々”という日常が、実は地続きであることに気づかせてくれる。 観客の中には「旅をしなくても、自分の毎日が少しだけ変わった気がする」と語る人もいました。 つまりこの作品は、「旅に出ること」ではなく「日常を見つめ直すこと」をテーマにしているのです。 それを静かな映像と繊細な演技で示すスタイルが、多くの共感を呼びました。
- 「静かな映画なのに涙が出た。生きることってこういうことかもしれないと思った」
- 「映像を観ながら、自分の過去の旅を思い出した。懐かしくて温かい気持ちになる」
- 「説明がなくても伝わる。映画ってこんなにも自由でいいんだと感じた」
- 「疲れた心にやさしく染み込む。セリフよりも沈黙が語る映画」
総じて、『旅と日々』の肯定的な評価は、「静かな時間の中にある感情」を見事に掬い上げた点に集中しています。 観る人によって感じ方は違いますが、心に残る余韻は共通しています。 次の章では、これとは対照的に、否定的な口コミ・評価を見ていきましょう。🌙
否定的な口コミ・評価 💭
どんな名作にも賛否はつきもの。『旅と日々』も例外ではありません。 静けさや余白を美徳とする作品であるがゆえに、「分かりにくい」「物語が動かない」と感じた人も少なくありません。 以下では、主に観客が抱いた戸惑いや違和感を整理して紹介します。 ただし、これらはあくまで“感じ方の違い”であり、作品の完成度を否定するものではありません。
一番多かったのは、「展開がなさすぎる」という感想です。 特に前半の海辺の場面は、人物の会話も少なく、何を描きたいのか掴みづらいと感じた人が多いようです。 「ずっと静かで、眠くなってしまった」「話の目的が見えない」という意見も目立ちます。 この映画は“物語を進める”というより“時間を味わう”スタイルのため、ストーリー重視の観客にとっては退屈に映る場面もあるようです。 また、「90分なのに2時間以上に感じた」「見終わったあとに残るのは空白だった」といった声もあり、 体感時間の“長さ”が評価を分けるポイントとなっています。
もうひとつ多かったのは、「物語の意図が読み取りにくい」という不満。 登場人物の関係性や行動理由が語られないため、「結局どういう話だったのか分からない」という感想がいくつかありました。 特に「夏の海の出来事と冬の宿のエピソードがどう繋がるのか?」という点で混乱した観客も多く、 「途中で夢か現実か分からなくなった」という声も見られます。 三宅監督の意図する“詩的な構成”が、すべての観客に伝わるわけではなかったようです。 これは、物語よりも感覚で見せるという本作の特徴が裏目に出た部分とも言えるでしょう。
「李(リー)の過去や動機がほとんど分からない」「なぜ旅に出たのかが説明されていない」など、 キャラクターの掘り下げ不足を指摘する声もありました。 観客の中には、「もっと彼女の職業や家族、心情を描いてほしかった」と感じた人も。 一方で、監督の意図としては“誰にでも当てはまる匿名性”を持たせたと言われています。 それでも、「感情移入しにくい」という印象を受けた人が一定数いたのは確かです。
原作ファンの中には、「つげ義春の独特のユーモアや不条理感が薄まっていた」と感じた人もいました。 「もっと原作の狂気を見たかった」「映像が整いすぎていて“汚れ”がない」という意見もあり、 実写化としての“距離感”に違和感を覚えた人が少なくなかったようです。 これは、監督の三宅唱が原作を“再現”ではなく“解釈”として描いたため、 原作ファンの期待とは別方向に進んだ部分とも言えます。
- 「静かすぎて集中できなかった。もっと感情の起伏がほしかった」
- 「映像は綺麗だけど、登場人物に感情移入できない」
- 「結局、何を伝えたかったのかが分からなかった」
- 「芸術的すぎて、自分には合わなかった」
こうした否定的な評価の多くは、映画の“静けさ”と“余白”が引き起こした戸惑いに起因しています。 ただし、これらの意見は決して“失敗”を意味するものではありません。 むしろ、観客それぞれの感性を試すような作品であることの証とも言えます。 この映画は、すべてを理解しようとするよりも、「分からないまま感じる」ことを楽しむタイプ。 次章では、そんな賛否の中で特に話題になったネット上の盛り上がりポイントを見ていきます。📡
ネットで盛り上がったポイント 🌍🔥
『旅と日々』は公開直後から映画ファンのあいだで話題となり、SNSでもさまざまな角度から盛り上がりを見せました。 特に国際映画祭での受賞や、原作・つげ義春の再評価、そして三宅唱監督の演出スタイルが注目の的に。 本章では、ネット上で広く共有されたキーワードや議論を、わかりやすくまとめて紹介します。
本作はスイス・ロカルノ国際映画祭で、日本映画として18年ぶりの最高賞「金豹賞」を受賞しました。 このニュースは瞬く間にX(旧Twitter)や映画情報サイトで拡散され、 「日本映画が静けさで世界を魅了した」「エンタメ全盛の時代に、こういう映画が評価されるのが嬉しい」など、 多くの映画ファンが歓喜の声を上げました。 授賞式での三宅監督のコメント「静けさの中にも声がある」が英語圏でも話題となり、 “#旅と日々” “#TabiToHibi” のハッシュタグがトレンド入りしました。
原作となったつげ義春の短編漫画「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」も再評価の波に。 「原作を読んで映画を観ると味わいが増す」「つげの世界観を現代的に再生している」といった意見が数多く投稿されました。 一方で、「原作を知らなくても十分楽しめる」「むしろ映画を観てから原作に興味を持った」という声もあり、 若い層がつげ文学に触れるきっかけを作った点でも大きな意味を持ちました。 書店ではつげ義春の復刻版や関連評論書の売り上げが一時的に上昇するなど、映画から波及する文化的影響も話題になりました。
『ケイコ 目を澄ませて』などで注目を浴びた三宅唱監督。 本作ではさらに“音のない世界”への挑戦を進めたことから、映画ファンや批評家のあいだで“現代の小津”という言葉が飛び交いました。 ネット上では「三宅監督の“間”の演出が世界で通用した」「静けさの中の熱を感じる」といったコメントが並び、 若手監督の中でも異彩を放つ存在として改めて評価されています。 また、インタビューで語られた「旅と日々は誰の中にもある」という言葉が印象的だとして拡散され、 “#静けさの映画”というタグで多くのファンアートや考察投稿が相次ぎました。
SNSでは、公式スチール写真や予告編の映像カットが「まるで絵画のよう」と評判に。 特に、李(シム・ウンギョン)が雪原の中を歩くシーン、そして大雨の中で海へ入るシーンは、 「一枚の写真として飾りたい」とコメントされるほど美しく、無数のスクリーンショットが共有されました。 ファンによるGIFアニメやポスター風アートも投稿され、 作品の美学がネットカルチャーの中で新しい形に拡散されていきました。📸
ネット上では、『旅と日々』をきっかけに、静けさを重視する映画が再び注目される動きも見られました。 「派手さがなくても心を動かす映画がある」「ノイズのない時間をスクリーンで感じたい」といった意見が増え、 他のミニシアター系作品にも関心が広がりました。 映画ファンの間では「静けさ映画リスト」が共有され、『ドライブ・マイ・カー』『ケイコ 目を澄ませて』などと並んで 『旅と日々』がその代表格として語られるようになりました。
こうして、『旅と日々』は単なる“話題作”に留まらず、日本映画の潮流を変える存在として注目されました。 SNSを中心に広がった“静けさの魅力”が、多くの人の映画の見方そのものを変えつつあります。 次章では、そんな観客の間で議論になった疑問に残るシーンについて詳しく掘り下げていきます。🕯️
疑問に残るシーン 🪞
『旅と日々』は、説明を省き、観客に“読み取る余白”を委ねた作品です。 そのため、観終わった後に「これはどういう意味だったのだろう?」と感じる場面がいくつもあります。 ここでは、ネット上でも特に話題になった3つのシーンを中心に、多くの観客が疑問を抱いたポイントを振り返ります。 それぞれの“解釈の余地”が、映画の深みを生んでいるとも言えるでしょう。
冒頭、海辺で出会った男女が、急な大雨の中で海へと入っていく場面。 多くの観客が「なぜ危険を冒してまで海に入るのか?」「何を象徴しているのか?」と疑問を抱きました。 一説では、この行為は「閉塞した日常を打ち破る衝動」を象徴しているとされます。 海は“自由”や“解放”のメタファーとして描かれがちですが、この映画ではむしろ「危うさ」と「再生」の両方を内包しており、 登場人物たちは、無意識のうちに“日々”から“旅”へと移行していく瞬間を体験しているのです。 つまりこのシーンは、物語の冒頭でありながら、すでに「変化の種」が植えられていると言えます。
冬のパートで、李(リー)が泊まる山奥の宿「べんぞうや」。 暖房もなく、まともな食事も出ないこの宿で、宿主のべん造(堤真一)は不思議な行動を見せます。 ある夜、彼は李を外へ連れ出し、雪原の中を歩かせるのです。 セリフは少なく、何を目的としているのかも不明のまま。 観客の間では「死の誘い」「人生の再出発」「父と娘の疑似的な関係」など様々な解釈が生まれました。 三宅監督の過去作でも“夜の散歩”はしばしば再生の象徴として使われており、 この場面もまた、「自分の中の過去を埋葬する儀式」のように見えるとも言われています。
映画の最後に、明確な結論や再会は描かれません。 それゆえ、観客の間では「旅と日々」というタイトルが何を指しているのか、議論が絶えませんでした。 “旅”は非日常、“日々”は日常という対比が基本ですが、 本作ではむしろ「日々の中にも旅がある」という逆転の視点が示されているように見えます。 旅の終わりに李が見つめる雪の景色は、特別な出来事ではなく、 日常の中に潜む“静かな発見”を象徴しているのかもしれません。 つまりこの映画の結末は、「旅が終わったのではなく、日々が旅になる」という解釈で完結するのです。
- 李の職業設定:脚本家でありながら言葉を失っている彼女は、創作の“沈黙”そのものを体現している。
- べん造の無愛想さ:不器用な人間関係を象徴しつつも、どこか温もりがある。“他人と距離をとる優しさ”とも言える。
- 時間軸の曖昧さ:夏と冬が連続しているのか、それとも別の次元なのか。監督自身が「時間の輪郭をぼかした」と発言。
- エンドロールの静寂:音楽を流さず、観客に「自分の心の音」を聴かせる演出として高く評価されました。
これらのシーンが“分かりづらい”と感じるか、“深い”と感じるかは、観る人によって大きく異なります。 『旅と日々』は、答えを与える映画ではなく、問いを残す映画。 その余韻こそが、観客それぞれの“心の旅”を続けさせる力になっています。 次章では、そうした解釈を踏まえたうえでの考察とまとめをお届けします。🌙
考察とまとめ 🧭
『旅と日々』は、「変わらないように見える日常が、実はいつも少しずつ変わっている」という事実を、二つの季節といくつかの出会いでそっと示す作品です。海に踏み出す衝動、雪原で深呼吸する時間――どちらも大事件ではありません。けれど、身体で受け取った感覚は、言葉にする前に心の奥に沈み、やがて日々の見え方を静かにずらしていきます。つまり本作は、「旅が人を変える」のではなく、「旅で気づいた感覚が日々に滲む」ことを描いています。
夏は前へ押し出す季節です。雨に打たれながら海へ入る行為は、説明のつかない衝動と解放を象徴します。対して冬は内へ潜る季節。雪の白さは記憶をまっさらにし、宿の夜は自分の輪郭を確かめる時間になります。外(旅)で得た手触りが、内(日々)を整える。この往復運動が映画全体の呼吸になっており、観客の体内時計もそれに合わせてゆっくりと整えられていきます。
多くの場面で、登場人物はただ歩き、立ち止まり、また歩きます。会話は最小限。足音・息づかい・視線の向きが、心の変化を語る脚本になっています。とりわけ李(リー)は、言葉を仕事にしながらも言葉が枯れた人物です。だからこそ、身体の実感が最初に戻ってきます。歩幅が少し大きくなる、視線が遠くへ抜ける――その微細な変化こそ、彼女が取り戻した“生きるリズム”の証です。
べん造の不器用さや、渚の言葉少なさは、冷たさではなく「相手の輪郭を尊重する距離」として描かれます。押しつけの励ましや劇的な告白はありません。かわりに、湯気、濡れた砂、冷えた空気の肌触りといった生活の細部が、言葉の届かない励ましとして積み重なります。観客はそこに、自分の生活の温度を重ね合わせることができます。
原作のエピソードは直線的に再現されず、空気と間が映画的に再配置されています。結果として、物語の“意味”は観客の側で仕上がります。これは不親切ではなく、「解釈の共同作業」です。海と雪というシンプルな対比は、原作の詩情を入口にしつつ、現代の観客が受け取れる体験へと開かれています。
- 再観賞で見える導線:夏の一挙手一投足が、冬の沈黙へ伏線のように響きます。
- 音の記憶:波・風・雪を踏む音など、最小限の音響が感情の器になります。
- 視線の使い方:人物が“見ない”瞬間にこそ本音が滲み、二度目でその意味が腑に落ちます。
- 半歩の効用:大きな答えを求めない。まず半歩進むだけで、景色は変わる。
- 間を作る:スマホを伏せ、五分だけ“何もしない”時間を置く。それが日々の旅になる。
- 風景を味方に:近所の川や公園でも、光や風を意識すると心の速度が整う。
まとめると、『旅と日々』は「旅と日常の境界は、もともと薄い」ことをやさしく教える映画です。大きなドラマはないのに、観終わると心の置き場所が少し変わっている。海と雪の手触り、歩く身体、沈黙の温度――それらが観客の中で静かに混ざり合い、自分の明日を少しだけ軽くする力になります。もし今、言葉にならない疲れを抱えているなら、本作はきっと良い伴走者になるはずです。旅は終わらない。日々が、旅になる。🌙

