『センチメンタル・バリュー(Sentimental Value)』は、家族の記憶と再会を静かに描いた感動作です。
難しい知識は必要ありません。登場人物の表情や沈黙から、ゆっくりと気持ちを感じ取る映画です。
本記事では、初めて観る方にもわかりやすく、作品の見どころや背景をまとめました。映画を10倍楽しむ予習にどうぞ。🌿
公式情報とあらすじ 🎬✨
『センチメンタル・バリュー(Sentimental Value)』は、「家族の記憶」と「いまの自分」がゆっくり重なっていくヒューマンドラマ。
難しい専門用語や複雑な仕掛けに頼らず、表情・間(ま)・言葉にできない想いを丁寧に追いかけます。普段あまり映画を観ない方でも、“伝わる気持ち”に寄り添えるつくりが魅力です。
物語の中心にいるのは、長いあいだ離れていた父と、成長したふたりの娘。母の死をきっかけに、家族は久しぶりに同じ空間へ戻ってきます。父はかつて映画監督として名を知られた人。
「家族の話を映画にしたい」と語り、長女に主役を頼みますが、“いまの自分の人生”を選んできた彼女は戸惑い、断ります。代わりに起用された若い女優の存在が、家族に積もった気持ちを少しずつ浮かび上がらせていきます。
- 父:グスタヴ…かつての名監督。作品づくり=生き方の人。離れていた時間の“埋め方”がわからない。
- 長女:ノラ…舞台で生きてきた実力派。「家族の映画」に出ることは、自分の過去と向き合うことでもある。
- 次女:アグネス…安定と日常を選ぶタイプ。家族の調整役になりがちで、本音を言うのが少し苦手。
- 若い映画女優:レイチェル…父が選んだ主演候補。外から来た視線が、家族の関係を映し出す鏡になる。
人物像はどれも極端ではなく、「実在しそう」な温度で描かれます。表情の変化や、言いかけて飲み込む一瞬に注目すると、より多くのことが伝わってきます。
劇的などんでん返しよりも、積み重ねられた沈黙や、ふとした仕草の意味がじわっと効いてくるタイプ。家という場所、昔の小物、未完成の脚本…そうした“モノたち”が記憶を呼び起こし、登場人物の決断に影響します。
かつての傷を無かったことにはしない。でも、「いま」どう生きるかを選ぶ。物語はそこに優しく寄り添います。
- セリフよりも「間」に注目:返事までの秒数、視線の揺れ、置かれた手の位置が気持ちを語ります。
- 音の使い方:静けさや生活音が感情の温度をつくります。騒がしい演出は少なめです。
- “映画の中の映画”の面白さ:父の脚本=家族の歴史。現実と創作が鏡のように反射します。
- 重く感じたら:話の筋を追うより、「この人は何を言えなかったのか」だけ意識してみるとすっと入れます。
同監督による『わたしは最悪。』を観ておくと、 「迷うこと」「選ぶこと」をどう描く作家なのかが掴みやすく、本作の人物の“心の動き”をより繊細に感じ取れます。 必須ではありませんが、もし時間があればおすすめです。
まとめ:『センチメンタル・バリュー』は、派手さよりも“本音に近い温度”で進む映画です。
家族の記憶は、時に嬉しく、時に痛い。その両方を受け止めながら、いま何を選ぶか──そこに寄り添える1本として、静かに心に残ります。🎥💭
作品の見どころ 🌈
『センチメンタル・バリュー』の魅力は、派手な演出に頼らない“心のドラマ”にあります。
セリフではなく表情や沈黙、空気の揺れで心情を描くヨアヒム・トリアー監督らしいスタイルで、観る人それぞれが自分の経験を重ねながら感じ取れる余白を持っています。
この映画では、登場人物たちが多くを語りません。言葉にできない気持ちは、沈黙や視線の動きで伝えられます。父が娘を見つめる数秒、娘が目をそらす一瞬――その小さな時間が、長年積もった思いを物語るのです。
普段の生活でも、人は大事なことほど言葉にしにくいですよね。映画はまさにその「言えない想い」を映像で見せてくれます。
父グスタヴは、自分たち家族をモデルにした映画を撮ろうとする監督です。物語の中で撮られる映画が、現実の家族関係を反映し、現実とフィクションの境界が少しずつ曖昧になっていきます。
まるで観客もまた、登場人物たちの記憶を覗き込んでいるような感覚。トリアー監督はこの構造を通して、「映画とは何か」「記憶を残すとは何か」を静かに問いかけます。
ステラン・スカルスガルドが演じる父は、威厳と弱さを併せ持つ複雑な人物。その存在だけで空気が変わります。
ノラ役のレナーテ・レインスヴェは、前作『わたしは最悪。』でも見せた自然体の演技で再び観客を魅了。アグネス役イング・リレアースとの姉妹の掛け合いも、リアルで温かく時に痛い。
エル・ファニングが演じるハリウッド女優レイチェルは、外の世界から家族の秘密に触れる“鏡”のような存在。異なる文化と感情が交わることで、より深い人間ドラマが生まれています。
舞台となる古い家には、家族が過ごした時間がそのまま残っています。窓から差し込む光、埃の舞う廊下、音のないキッチン。どのシーンもまるで時間そのものが呼吸しているようです。
カメラワークは静かで長いショットが多く、観る者に「この部屋で何があったのか」を想像させます。家という空間が、人物たちの感情を包み込み、時に突き放す――そんな構造が見事です。
サウンドトラックは控えめで、ピアノや弦楽器の音がほとんど。音が少ないからこそ、息づかいが際立つ。観客はキャラクターの心拍に耳を傾けるように物語に引き込まれます。
そして音楽が流れる瞬間、その抑えた感情が一気に解放される。映画館で聴くと、まるで自分の記憶も重ねているような感覚になります。
この作品のテーマは単なる家族愛ではありません。
「血のつながり」よりも、時間を経て再び“人として出会い直す”ことが重要なのです。
グスタヴとノラの間にあるのは、親子というより“同じ創作をする仲間”のような緊張感。
過去を責めるでもなく、許し合うでもなく、「ただ相手を理解したい」という素朴な願いが、最後まで静かに貫かれています。
『センチメンタル・バリュー』の見どころは、派手な事件ではなく人の内面を丁寧に描くこと。
一見静かな映画ですが、観終わったあとに心の奥がじんわり温かくなります。
“家族”や“記憶”というテーマを、誰にでも届くかたちで描いたこの作品は、ヨアヒム・トリアー監督の集大成と言えるでしょう。🎥💫
予習しておくべき知識 🧠
『センチメンタル・バリュー』は、一見シンプルな家族ドラマですが、背景を少しだけ知っておくと感情の深さが何倍にも広がる作品です。
難しい前提知識は不要ですが、「登場人物の関係」「監督の作風」「作品が語ろうとするテーマ」を軽く押さえておくと、より味わい深くなります。
- グスタヴ…かつて有名だった映画監督。今は家族と離れて暮らしている。過去への執着と芸術への情熱の間で揺れる。
- ノラ…舞台女優として自立している長女。父と過去に確執があり、再会に戸惑いながらも“自分の人生”を守ろうとする。
- アグネス…家庭を持ち、穏やかな日常を送る次女。姉と父の間に立ち、家族のバランスを取ろうとする。
- レイチェル…ハリウッド女優。父が家族をモデルに撮る映画で主役に抜擢され、外部の視点として物語に介入する。
この4人を中心に物語が展開します。複雑な設定はありませんが、誰が何を恐れ、何を隠しているのかを意識して観ると、登場人物たちの表情や沈黙の意味がより明確に見えてきます。
トリアー監督は、「心の奥にある言葉にならない感情」を映像で描く名手です。派手なカメラワークや説明的なセリフを避け、日常の細やかな瞬間に焦点を当てます。
たとえば前作『わたしは最悪。』では、恋愛や仕事で迷う女性のリアルな感情を、詩的な映像とユーモアで描き、世界中で高く評価されました。
今作ではより成熟したトーンで、「親と子」「創作と現実」「記憶と赦し」という普遍的なテーマを掘り下げています。
本作は「家族再会の物語」でもありますが、同時に“過去をどう受け止めて生きるか”というテーマを持っています。
父グスタヴは、自分の芸術を通して家族との溝を埋めようとする一方で、娘たちは「過去を映画にされる」ことへの抵抗を感じます。
このズレが、観る人それぞれの人生観と共鳴します。誰もが一度は経験する「家族の言えなかったこと」。その痛みと温かさが、静かなシーンに込められています。
- テンポはゆっくりで、会話よりも「間」で見せるタイプ。
- 音楽は控えめで、ピアノや弦楽器が中心。静けさが感情を際立たせる。
- 自然光を多く使った撮影で、北欧映画らしい柔らかい色彩。
- 家や街、風景といった“空間”が、登場人物の心を代弁する。
派手な演出はなくても、細部が心に響くタイプの映画。セリフを追うよりも、「この人はなぜこう動いたのか?」という視点で観ると、トリアー監督の意図が感じ取れます。
これらの言葉が映画の随所に登場します。たとえば「記憶」は登場人物が手放せないもの、「赦し」は彼らが求めながらも恐れているもの。
どれも抽象的ですが、観ているうちに自分自身の体験と重なって感じられるでしょう。
この映画はスリルやサスペンスのように刺激的ではありません。むしろ、静かに心を覗かれるような時間です。
観終わってすぐに“すごい!”と感じる作品ではなく、後からじんわり効いてくるタイプ。
家族や過去について考えるきっかけをくれる映画なので、少しだけ感情をオープンにして観るのがおすすめです。
『センチメンタル・バリュー』の予習で大切なのは、知識よりも感覚を整えること。
登場人物の感情を「理解する」のではなく、「感じる」準備をしておく。それがこの映画を最大限に楽しむ一番の近道です。🎞️✨
ネットでの反響 🌍💬
『センチメンタル・バリュー』は2025年のカンヌ国際映画祭で初上映され、上映後には15分以上のスタンディングオベーションが続いたと報じられました。
その後、海外の映画メディアやSNS上で多くの感想や分析が寄せられ、トリアー監督のキャリアの中でも特に成熟した作品として話題になっています。
- イギリス・ガーディアン紙:「ウディ・アレンの会話劇とベルイマンの心理ドラマを融合させたような完成度。 静かな場面ほど緊張感が高まる。」
- ル・モンド(フランス):「過去の傷は完全には癒えない。だが、この映画は“傷のある人生も美しい”と語りかける。」
- ヴァラエティ誌:「トリアーの作風が国際的に確立したことを証明する一作。ステラン・スカルスガルドの演技は圧巻。」
批評家たちは口をそろえて、「言葉ではなく映像で語る力」を高く評価しています。特に、家族の食卓シーンや、父が娘を撮る瞬間のカメラワークに「詩のような美しさがある」と評されています。
作品公開後、X(旧Twitter)やRedditなどの映画フォーラムでは、ファンからの感想が相次ぎました。いくつか印象的な投稿を紹介します。
- 「この映画、観ていると自分の家族に電話したくなる。」
- 「沈黙が痛い。でも、その沈黙の中に愛がある。」
- 「トリアー監督の映画を観ると、人生の“迷い”が肯定される気がする。」
- 「エル・ファニングの登場が映画に新しい光を差し込んでいた。」
多くの投稿で共通していたのは、「派手ではないけれど、心に残る」という点。観終わったあとにじんわりと余韻が残るという声が非常に多いのが特徴です。
- ① キャストの組み合わせ:ステラン・スカルスガルド × レナーテ・レインスヴェ × エル・ファニングという異文化共演に注目が集まりました。
- ② 前作とのつながり:レインスヴェが『わたしは最悪。』に続き主演し、トリアーとの信頼関係が深まったと話題に。
- ③ 家族×映画というメタ構造:監督自身の経験が反映されているのではないかと、ファンの間でさまざまな憶測も。
- ④ カンヌ上映後の評価:「今年のカンヌで最も“静かな感動”を与えた映画」と称され、観客賞候補との呼び声も高い。
一方で、一部の観客からは「展開がゆっくりすぎる」「感情表現が控えめすぎて眠くなる」という声もありました。
ただし多くの評論家はそれを「意図的な静けさ」と捉え、“人生の中で何も起こらない時間の尊さ”を描いていると評価しています。
SNS上では「この映画は“退屈”ではなく、“考える時間を与えてくれる”」という意見も広がりました。
これらのハッシュタグは、公開当初から数週間にわたりトレンド入りしました。中でも「#QuietCinema(静かな映画)」という言葉は、トリアー作品の代名詞のように使われています。
全体として、『センチメンタル・バリュー』は「派手な賞レース作品」ではなく、「人の心を静かに動かす作品」として評価されています。
カンヌの熱気とSNSのリアルな声が共に示しているのは、この映画が“誰かの心の記憶”として長く残る作品だということです。🎞️💖
日本公開日が決定!🎉
待望のヨアヒム・トリアー監督最新作『センティメンタル・バリュー(Sentimental Value)』の 日本公開日が2026年2月20日(金)に決定しました。
海外ではカンヌ国際映画祭で高評価を受けた本作が、ついに日本のスクリーンに登場します。
- 日本公開日:2026年2月20日(金)
- 配給:ギャガ(GAGA Corporation)
- 上映形式:全国主要都市での順次公開予定
- 原題:Affeksjonsverdi / 英題:Sentimental Value
- 監督:ヨアヒム・トリアー
- 出演:ステラン・スカルスガルド、レナーテ・レインスヴェ、エル・ファニング ほか
- 話題の再タッグ:『わたしは最悪。』のコンビ、トリアー監督&レナーテ・レインスヴェが再び挑む“心の物語”。
- カンヌでの絶賛:上映時には15分以上のスタンディングオベーションを記録し、「静かな感動作」として世界中で話題に。
- 北欧の情緒:ノルウェーの自然光を活かした映像美と、沈黙の中に宿る感情表現が魅力。
- 日本でも共感の声:すでにSNSでは「『わたしは最悪。』の続編のようで楽しみ」「静かな涙を誘う映画」との期待が高まっています。
上映劇場や前売券の情報は、ギャガの公式サイトおよび各シネマチェーンの情報ページで順次発表予定です。
都内を中心に、全国主要都市のミニシアターやアート系館での公開が見込まれています。
先行上映やトークイベントの実施も噂されており、今後の発表に注目です。
『センティメンタル・バリュー』は、2026年2月20日(金)より全国ロードショー。
家族・記憶・芸術をめぐる静かな感動作として、春の映画シーズンを代表する1本になりそうです。🌿
ヨアヒム・トリアー監督について 🎥
『センチメンタル・バリュー』を語る上で欠かせないのが、ヨアヒム・トリアー監督。
ノルウェーを代表する映画作家であり、感情の機微をとらえる独特のタッチで世界中の映画ファンを魅了しています。
- 名前:ヨアヒム・トリアー(Joachim Trier)
- 生年月日:1974年3月1日/ノルウェー・オスロ出身
- 職業:映画監督・脚本家・プロデューサー
- 特徴:内省的な登場人物と、詩的な映像表現で知られる。
トリアー監督は、「人の心の静かな動き」を映像で描く名手です。彼の作品にはアクションも派手な演出もほとんどありません。
代わりに、登場人物の表情、息遣い、視線の揺れといった細部で感情を伝えます。観客は彼の映画を通して、「自分の心を見つめる時間」を与えられるのです。
- 『リプライズ』(2006):若い作家たちの友情と挫折を描き、デビュー作ながら高評価。
- 『オスロ、8月31日』(2011):人生に疲れた男性の一日を描く。静かで美しく、トリアーの作風を決定づけた名作。
- 『わたしは最悪。』(2021):迷いながら生きる女性像を鮮やかに描き、第94回アカデミー賞で脚本賞にノミネート。
- 『センチメンタル・バリュー』(2025):過去と家族、芸術と記憶を描いた最新作。トリアーの成熟が感じられると評される。
彼の作品には一貫して「人生の選択」というテーマがあります。登場人物は皆、何かを選び、何かを失いながらも前に進もうとします。その姿が、観る人の心に深く響くのです。
- 静寂の使い方: 音楽を減らし、沈黙で感情を語る。
- カメラの距離感: 登場人物に寄りすぎず、まるで“観客がそっと見守る”ような構図。
- 現実と幻想の境界: 記憶や想像を自然に混ぜ、観客に「これは現実か?」と思わせる。
- 俳優との信頼関係: 特にレナーテ・レインスヴェとは長年のコンビで、細かな表情の演出を徹底して行う。
トリアー監督は派手なカットやCGではなく、“人間の内側を見せるカメラ”で観客を引き込みます。どの作品も静かでありながら、観た人の心を長く離れません。
本作では、監督自身の人生と重なる要素が随所に見られます。トリアーの父は映画業界に携わっており、彼もまた幼い頃から「映画と家族」の狭間で育ちました。
その経験が、「創作する父と娘たちの物語」というテーマに深く影響していると考えられます。
また、彼のこれまでの作品と同様に、本作も「時間」「記憶」「選択」というキーワードが大きな軸になっています。
監督自身はインタビューでこう語っています。
「この映画は、家族を理解しようとする試みです。愛とは、わかり合えないことを受け入れる勇気かもしれません。」
- セリフよりも「沈黙」を感じる。
- 人物が“何を考えているか”ではなく、“何を感じているか”に注目。
- 景色や物の配置が感情を象徴していることが多い。
- 登場人物の「選択」から、自分自身の人生を重ねてみる。
ヨアヒム・トリアー監督は、時代に流されず「静かな感情の映画」を作り続けてきた希少な作家です。
『センチメンタル・バリュー』はその集大成であり、観る人それぞれの“心の奥”に鏡を差し出すような一本です。🎥🌿
過去作『わたしは最悪。』とのつながり 💞
『センチメンタル・バリュー』をより深く理解するためには、ヨアヒム・トリアー監督の代表作 『わたしは最悪。』(The Worst Person in the World)を知っておくと良いでしょう。
どちらも「人生の迷い」「人との距離」「自分をどう受け止めるか」を描く作品で、心の温度が似ています。
『わたしは最悪。』(2021)
ノルウェーのオスロを舞台に、キャリアと恋愛の狭間で揺れる女性ジュリーの数年間を描いたヒューマンドラマ。
主演のレナーテ・レインスヴェがカンヌ国際映画祭で主演女優賞を受賞し、世界的に注目されました。
- 人生の選択: どちらの作品も「何を選び、何を手放すか」が大きな軸。
- 関係のリアル: 恋人・家族・仕事など、誰しもが経験する“人との距離”を丁寧に描く。
- 自己理解: 他者との関わりを通して、自分自身を見つけていくプロセス。
- 時間の経過: 過去と現在、そして未来の“自分”が交錯する構成が共通しています。
彼女は『わたしは最悪。』で“生き方に迷う現代女性”を演じ、一気に世界的スターとなりました。
『センチメンタル・バリュー』では、より成熟した役柄として“父と向き合う女性”を演じ、感情の奥行きと静けさがさらに増しています。
監督との信頼関係があるからこそ、わずかな表情で心情を伝える繊細な演技が可能になっています。
- 『わたしは最悪。』は個人の人生の迷いを描いた物語。
- 『センチメンタル・バリュー』は家族の再会と記憶をテーマにした作品。
トリアー監督は『わたしは最悪。』で描いた“自己探し”を、今作では“家族との和解”へと昇華させました。
まるで人生の次の章を描くように、彼の作品世界はより深く、温かく進化しています。
順番はどちらでも構いませんが、『わたしは最悪。』→『センチメンタル・バリュー』の順で観ると、トリアー監督の「感情を描く手法の進化」がよく分かります。
前者で“個人の内面”を、後者で“家族全体の記憶”を描くという構造は、監督自身の人生観の成長そのものとも言えます。
『わたしは最悪。』は、人生に迷うことの尊さを肯定する映画。
そして『センチメンタル・バリュー』は、その迷いを経て「人とどう向き合うか」を静かに問いかけます。
この2作を並べて観ると、ヨアヒム・トリアーという監督の“人生三部作”が見えてくるはずです。🎞️🌌

