『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、 一見すると「耳がきこえない両親を持つ息子の物語」です。 けれど実際に観てみると、 それだけでは言い切れない深さを持っています。
主人公・大(だい)は、 きこえない両親のもとに生まれた、きこえる子ども。 家の中では手話が飛び交い、 外に出れば音の世界が広がる。 彼は幼い頃から、 ふたつの世界を自然に行き来して育ちます。
その姿だけを見ると、 どこか特別な家庭の話のように感じるかもしれません。 しかし物語が進むにつれて分かるのは、 これは決して遠い世界の出来事ではない、ということです。
親の前では素直になれない。 家族だからこそ、言えない本音がある。 期待に応えようとするほど、息苦しくなる。
こうした感情は、 特別な状況でなくても、 多くの人が一度は経験したことがあるはずです。
本作は、 「障害」や「社会問題」を声高に語るのではなく、 親子のあいだに流れる微妙な空気を 丁寧にすくい上げていきます。
派手な事件や衝撃的な展開はありません。 その代わりに、 小さなすれ違い、 言えなかった一言、 目をそらしてきた感情が、 少しずつ積み重なっていきます。
その静けさの中で、 観客は自然と自分自身の記憶を重ねてしまいます。 「あのとき、自分はどうだっただろう」 と振り返らずにはいられません。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』とは? 🌊🤟
この映画は、「きこえる世界」と「きこえない世界」の間で育った青年・大(だい)の人生を描く物語です。 両親は耳がきこえません。でも、息子の大はきこえます。だから幼い頃の大は、家の外では母の“通訳役”になることが当たり前。 それは特別な使命というより、本人にとっては「家族のいつもの日常」でした。ところが成長するにつれて、周囲の視線や誤解が重なり、 大の心には少しずつ息苦しさがたまっていきます。
舞台は宮城県の小さな港町。五十嵐家に男の子が生まれ、祖父母も両親も喜びます。名前は「大」。 ほかの家庭と少しだけ違うのは、両親の耳がきこえないことでした。 幼い大にとって、母の言葉を周りに伝えることも“ふつう”の楽しい日常。家では手話、外では音声―― 大は自然に二つのやり方を使い分けながら育っていきます。
けれど、学校や町の中で「特別視」されることが増えると、気持ちは単純ではいられません。 周りの善意が、本人にはプレッシャーになったり、無理解が恥ずかしさに変わったりする。 そして大は、明るく前向きな母の姿さえ、ある時期からまぶしすぎて苦しいと感じてしまいます。 心の整理がつかないまま20歳になった大は、逃げるように東京へ――ここから親子の距離は大きく動き出します。
CODA(コーダ)は、きこえない/きこえにくい親を持つ、きこえる子どものこと。 大はまさにその立場で、家の中では「子ども」でも、家の外では一瞬で「大人の役目」を求められることがあります。 たとえば役所や病院、買い物、近所付き合い。通訳をするだけでなく、空気を読んで場を整えることまで背負ってしまう。 映画は、その“便利さ”の裏にあるしんどさも丁寧に見せてきます。
重要なのは、「親が悪い/子が偉い」という話ではないこと。 愛があるのに、すれ違ってしまう――そこに人間ドラマとしての普遍性があります。
- 手話の演技:言葉を言わなくても、目線・間・表情で感情が伝わる。
- 母の存在感:明るさが武器でもあり、すれ違いの火種にもなる。
- 町の距離感:優しさと無神経が同居する“地方あるある”がリアル。
- 上京の意味:東京は夢の街というより、心の避難所にも試練にもなる。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、“違う世界を行き来して育った子が、やがて自分の居場所を探す物語”です。 親子の愛情は確かにある。でも、それだけでは乗り越えられない誤解や、言葉にできない疲れもある。 本作はその矛盾を、派手に解決せず、逃げずに見つめます。
次の章からは、ネット上の感想を踏まえて「良かった点/合わなかった点」がどう語られているかを整理していきます。ここまで読めたら準備OKです!✨
全体的な評価まとめ 🎥✨
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』のネット上での評価を総合すると、 この作品は「静かだけれど、心の奥に長く残る映画」という声がとても多く見られます。 大きな事件や派手な展開で感情を揺さぶるタイプではありません。 その代わりに、親子のすれ違いや、言葉にならない葛藤を丁寧に積み重ねていく作品として高く評価されています。
多くの感想で共通しているのは、「静かな映画だった」という印象です。 しかしそれは「退屈」という意味ではなく、 観終わったあとにじわじわと気持ちが広がっていくタイプだという評価です。
親子がぶつかり合う場面も、大声で怒鳴り合うわけではありません。 手話の間、視線の揺れ、言いかけて飲み込む言葉。 そうした細かなやりとりが積み重なり、 観客はいつの間にか大や母の気持ちに引き込まれていきます。
障害をテーマにしている作品ですが、 ネット上では「社会問題映画」というよりも、 普遍的な家族の物語として評価されています。
親に反発する思春期の気持ち、 自分のルーツから離れたいという衝動、 それでも完全には切れない親子のつながり。 こうした感情は、きこえる・きこえないに関係なく、 多くの人が経験するものです。
そのため「自分の家族を思い出した」「親に少し優しくなりたくなった」 という声も多く見られます。
全体的な評価の中でも特に高く語られているのが、 手話のリアリティと、あえて音を使わない演出です。
音楽を強く流さず、静かな時間をそのまま映すことで、 観客は「きこえない世界」に近い感覚を体験します。 それが単なる説明ではなく、 体感として伝わる点が評価されています。
一方で、「テンポがゆっくり」「主人公に共感しにくい瞬間がある」 といった声も一定数あります。
特に大が母に強く反発する場面では、 「そこまで言わなくても」と感じた人もいるようです。 しかし逆に、「その未熟さがリアルだった」という評価もあります。
全体の評価をまとめると、 『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は 静かな語り口で、深いテーマを描いた誠実なドラマ という位置づけになります。
派手な感動よりも、現実の延長線上にある苦しさと優しさを描く。 だからこそ、観終わったあとに 「自分はどんな世界で生きているだろう」と 考えさせられる余白があります。
次の章では、ネット上で多く見られた 「肯定的な口コミ」を具体的に整理していきます。 どんな点が特に支持されたのかを詳しく見ていきましょう。✨
肯定的な口コミ・評価 🌟
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』に対するネット上の肯定的な口コミでは、 「静かなのに強く心を打つ」「観終わったあとに深く考えさせられる」 という声が多く見られます。 派手な展開はないものの、だからこそリアルで、感情がじわじわと広がる作品として高く評価されています。
最も多いポジティブな意見は、 「気づいたら泣いていた」というものです。 大と母のすれ違いは決してドラマチックに描かれるわけではありません。 それでも、言葉にならない後悔や、 伝えられなかった本音が積み重なることで、 観客の心に強く響きます。
特にラストに向かう場面では、 「親子ってこういうものだよね」と共感する声が多く、 押しつけがましくない感動が評価されています。
両親役を実際のろう者俳優が演じていることもあり、 手話のやり取りに「作られた感じがない」という声が目立ちます。
セリフに頼らず、 目の動きや間の取り方だけで感情が伝わる場面は、 「こんなに静かなのに、こんなに強い」と高く評価されています。
「きこえない世界」を説明するのではなく、 体験させてくれる映画だ、という感想も多く見られます。
ポジティブな口コミの中で特に多いのが、 母の存在に対する評価です。
- 明るく前向きでたくましい
- 弱さを見せない強さが切ない
- 息子への愛情がまっすぐ
ただ優しいだけではなく、 無意識のうちに息子へ重圧をかけてしまう部分もある。 その複雑さがリアルで、 「完璧じゃない母だからこそ心に残る」という評価につながっています。
「障害の話」という枠を超えて、 「親子の距離感」「自分の居場所探し」の物語として共感した、 という声も非常に多く見られます。
親から離れたい気持ち、 でも完全には離れられない現実。 その揺れ動く心は、 多くの人が経験する普遍的な感情です。
そのため、 「自分の過去を思い出した」「親に会いたくなった」 という口コミも目立ちます。
過度に感情をあおらず、 音楽も控えめで、 カメラも登場人物の表情を静かに追う。 その落ち着いた演出が 「テーマを大切に扱っている」と評価されています。
重いテーマを扱いながらも、 希望を完全に失わせないバランス感覚も、 ポジティブな評価につながっています。
総じて、「派手ではないが、誠実で心に残る映画」という声が多く、 観る人の人生経験によって深さが変わる作品として支持されています。
否定的な口コミ・評価 🌀
ネット上の否定的な感想を整理すると、 大きくは「テンポ」「共感のしやすさ」「説明不足に感じる部分」 の3つに集まりやすいです。 ただし、これらは作品の欠点というよりも、 作風の好みで評価が分かれるタイプの意見でもあります。
否定的な口コミでまず目立つのは、 「前半がゆっくりすぎる」「山場が少なくて眠くなった」 というテンポ面の指摘です。
本作は、日常の積み重ねで感情を育てる映画なので、 事件が次々起こるタイプではありません。 そのため普段テンポの速い映画に慣れている人ほど、 “何が起きているのか分かりにくい”と感じることがあります。
次に多いのが、主人公の大に対する反応です。 思春期から青年期にかけての大は、 母に対して冷たく当たったり、距離を置いたりします。 その姿を見て、 「母が頑張っているのにひどい」 「反抗が強すぎてつらい」 と感じた人もいます。
ただ、この意見には裏返しがあります。 大は悪い人ではなく、 “いい子でいなければ”の疲れが限界に近い。 そこが理解できないと、 ただのわがままに見えてしまうことがある、というわけです。
「東京での生活がさらっと流れる」 「大が何を仕事にしていくのかがはっきりしない」 「周囲の人間関係が深掘りされない」 など、説明不足に感じる声もあります。
本作は、大きな成功物語やキャリアの成長ではなく、 心の変化を中心に描く作品です。 だから、現実的な生活の細部(仕事・将来の選択)を はっきり見せない場面があります。 そこが「物足りない」と感じられることがあります。
- 「上京後の葛藤をもっと見たかった」
- 「周囲の支援や制度の話も入れてほしかった」
- 「ろうコミュニティとの関わりがもっと欲しい」
宣伝や口コミで「泣ける」「感動」と聞いて観た人の中には、 「思ったより淡々としていた」 「号泣というより静かな終わり方だった」 という反応もあります。
これは作品が狙っている感情が、 “派手な涙”よりも“静かな気づき”だからです。 期待する種類の感動が違うと、 肩透かしに感じられることがあります。
ネットで盛り上がったポイント 🔥
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、 派手なエンタメ作品ではありません。 それでもSNSやレビューサイトでは、 いくつかのポイントが強く話題になりました。 ここでは、特に多く語られたテーマやシーンを整理します。
この映画をきっかけに、 「CODA(きこえない親を持つ、きこえる子ども)」 という言葉が改めて広まりました。
これまであまり知られていなかった立場について、 「初めて知った」「自分も当てはまるかもしれない」といった声が多く見られました。 単なる家族の物語としてだけでなく、 社会の中で見えにくかった存在を 可視化した点が評価されています。
物語の中には、あえて音を消し、 きこえない世界の感覚に近づける演出があります。
この無音の時間が 「想像以上に緊張感があった」 「静かすぎて逆に感情が強くなった」 と話題になりました。
普段、私たちは音に囲まれて生きています。 だからこそ、 音がない空間がどれほど不安で、 どれほど孤独かを体験することで、 物語の理解が一段深まるのです。
ネタバレを含む感想で特に多かったのが、 ラストに近い親子のやりとりについてです。
大がこれまで抱えていた葛藤と、 母がずっと抱えていた想い。 それがぶつかり合いながらも、 完全な解決ではなく、 それでも一歩近づく形で描かれます。
「完璧な和解ではないところがリアル」 「言い切らない終わり方が心に残る」 といった声が多く見られました。
舞台となる港町の描写も話題になりました。 優しさと同時に、 何気ない偏見や距離感が存在する。
「悪意はないのに傷つく瞬間がある」 という描写に対し、 「自分の地元を思い出した」 「あの空気は本当にリアル」 という感想が多く投稿されています。
- 善意がプレッシャーになる瞬間
- 町全体に見守られる息苦しさ
- 逃げ場のない関係性
感想投稿の中で印象的なのは、 映画の話から 「自分の親との関係」へと話題が広がることです。
「あのときの自分は大と同じだった」 「親にきちんと向き合えていなかった」 という振り返りの声が多く、 映画が個人的な記憶を呼び起こす力を持っていることが分かります。
まとめると、ネットで盛り上がったのは 派手な展開ではなく、 “体験として心に残る瞬間”でした。 次の章では、観客の中で 「少し引っかかった」「答えがほしい」と感じられた 疑問の残るシーンについて整理していきます。✨
疑問に残るシーン 🤔
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、 すべてを説明しきる映画ではありません。 だからこそ観終わったあとに、 「あれはどういう意味だったのだろう?」と 余韻が残る場面がいくつかあります。 ここでは、ネット上でもよく語られた “引っかかりポイント”を整理します。
大は20歳になり、東京へ出ます。 地元の港町から離れれば、 母との距離も自然に変わるはずでした。
しかし映画では、 東京での具体的な成功や劇的な転機は はっきりとは描かれません。 仕事や人間関係も、 詳細より“空気感”が中心です。
そのため、 「結局、何が変わったの?」 と疑問を持つ人もいました。
大が母に強く反発する場面。 母は明るく振る舞いますが、 本当はどこまで息子の苦しさに気づいていたのか。
はっきりとした説明はありません。 だからこそ、 「母は分かっていたはず」 「いや、気づいていなかったのでは」 と意見が分かれています。
これは親子関係そのものに近い構図です。 親はどこまで子どもを理解できるのか。 子どもはどこまで本音を言えているのか。
終盤、大と母はぶつかりながらも、 少し距離を縮めます。 しかしそれは、 ドラマのような完璧な和解ではありません。
涙と抱擁で全て解決、 という形ではなく、 まだ少しぎこちなさが残る終わり方です。
ここに対しては、 「スッキリしない」と感じる人もいれば、 「それがリアルでいい」と評価する人もいます。
大は地元を離れ、 母と距離を取る選択をします。 それは逃げだったのか、 それとも成長だったのか。
映画は明確な答えを出しません。 だからこそ、 観客自身の人生経験によって 解釈が変わります。
「離れることも愛なのかもしれない」 という視点を持つ人もいれば、 「もっと向き合うべきだったのでは」 と感じる人もいます。
考察とまとめ 🕊️
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は、 「きこえる」「きこえない」という違いを描きながら、 本当はもっと普遍的なテーマ―― “親子とは何か”“自分の居場所とは何か” を問いかける映画です。
タイトルにある「ふたつの世界」は、 音のある世界と無音の世界だけを指しているわけではありません。
家の中の自分と、外にいるときの自分。 親の前の自分と、友人の前の自分。 誰もが、少なからず“ふたつ以上の世界”を行き来して生きています。
大はその振れ幅が大きかっただけ。 だからこそ、彼の葛藤は特別なものに見えますが、 実はとても身近な感情でもあります。
この映画の最大のポイントは、 親子に愛がないわけではない、ということです。
母は息子を大切に思っている。 大も本当は母を嫌っているわけではない。 それでもすれ違う。
ここに描かれているのは、 善悪ではなく、距離感の問題です。 近すぎるからこそ見えなくなる気持ち、 言葉にできない負担。 それは多くの家庭に存在します。
大は東京へ出ます。 それは一見、逃げのようにも見えます。
しかし距離を取ることでしか、 見えないものもあります。 物理的に離れることで、 初めて冷静に親を見ることができる。
この映画は、 「向き合うこと=常に一緒にいること」 ではないと静かに示します。
離れる勇気もまた、関係を守る一つの形 なのかもしれません。
本作は、涙を強制する映画ではありません。 音楽も控えめで、 大げさな演出もありません。
その代わり、 観客に考える時間を残します。 「自分ならどうするだろう」 「自分は誰に甘えてきただろう」 そんな問いが、 観終わったあとにゆっくり浮かび上がります。


